本日(08)、世界中の世代のファンを魅了した伝説の漫画家、鳥山明氏(ドラゴンボール、Dr.スランプ)が亡くなりました。この弔意に応え、ファンに馴染みのある著名な漫画家、岸本斉史氏や尾田栄一郎氏がソーシャルメディアを通じて鳥山氏を偲びました。
尾田栄一郎(ワンピース)

- 早すぎる。穴が大きすぎる。もう二度と会えないと思うと、悲しみでいっぱいです。子供の頃からずっと憧れていて、初めて名前を呼んでくれた日のことも覚えています。岸本さんとの帰り道、一緒に過ごした楽しい時間も懐かしく、「友達」という言葉を使ってくれたあの日以来です。最後に交わした会話も覚えています。マンガを読むとバカになる時代からバトンを受け継ぎ、大人も子供もマンガを読んで楽しめる時代を築いてくれた一人です。マンガでこんなこともできるんだ、世界へ羽ばたけるんだ、という夢を私たちに見せてくれました。
- 頂戴しました。まるでヒーローが前に進む姿を見守っているようでした。ドラゴンボール連載の熱狂は、漫画家のみならず、各界で活躍するクリエイターの幼少期に深く根付いているのではないでしょうか。この存在は、大きな木です。同じ舞台に立った同世代の漫画家にとって、鳥山先生の作品は、近づくほどに存在感を増し、恐ろしいほどでした。でも、こうして穏やかなあの姿に再び会えて、本当に嬉しいです。だって、私たちは鳥山先生を心から愛しているから。鳥山先生が残して下さった、豊かな創造世界に敬意と感謝を捧げ、心よりご冥福をお祈りいたします。天国が、先生が想像されたような、安らかな世界でありますように。
岸本斉史(ナルト)
- 正直、突然のことで何をどう書いたらいいのか分かりません。でも今は、鳥山先生に今の気持ちを伝えたいです。私は小学生の頃は『Dr.スランプ』、大人になってからは『ドラゴンボール』を読んで育ち、先生の漫画が生活の一部として当たり前のようにそばにあったんです。辛いことがあっても、『ドラゴンボール』はいつもそれを忘れさせてくれました。田舎育ちで何も持っていなかった私にとって、それは救いでした。だって『ドラゴンボール』は本当に楽しかったんですから! 大学生の頃。長年、私の人生の一部だった『ドラゴンボール』が突然終わってしまったんです。とてつもない喪失感に襲われ、これからどうなるのか全く分かりませんでした。
岸本氏は鳥山明氏にこう語った。 「でも同時に、『ドラゴンボール』を生みの親である先生の偉大さを真に理解する良い機会でもありました。私も先生のような作品を作りたいと思ったんです!」先生の跡を継ぎ、漫画家を目指すにつれ、この喪失感は薄れていった。
- マンガを描くのが楽しかったからです。先生の教えに従うことで、新たな喜びを見つけることができました。先生はいつも私の導き手であり、インスピレーションの源でした。ご迷惑をおかけしますが、先生に感謝の気持ちを伝えたいと思います。私にとって先生は救世主であり、マンガの神様でした。初めてお会いした時は緊張して言葉が出ませんでしたが、手塚賞の選考会などで何度かお会いするうちに、お話できるようになりました。
- ドラゴンボールの読者として、尾田先生と子供に戻り、ドラゴンボールの面白さを競うように盛り上がって語っていた時、先生は照れくさそうに微笑んでいたようでした。先生の訃報を今知りました。ドラゴンボールが終わった時以上の喪失感で…この心にぽっかりと空いた穴をどう埋めればいいのか、まだ分かりません。今はドラゴンボールの漫画も読めません。この文章で先生に気持ちをきちんと伝えられるか分かりません。世界中がまだ先生の作品を待ち望んでいたのです。もしドラゴンボールの願いが一つだけ叶うとしたら…すみません、勝手な願いかもしれませんが悲しいです、先生。鳥山明先生、45年間、楽しい作品をありがとうございました。そして本当にありがとうございました。そして、今も深い悲しみに包まれているご家族の皆様。どうかお大事に。鳥山明先生のご冥福をお祈りします。
ファンのコメントをご覧ください:
- 岸本さんと尾田さんがAKIRAについて語ってるの、めっちゃ面白かった…
- アキラは彼にとって最大のインスピレーションだった
- 岸本はNARUTOにトリビュートするのでしょうか?
- ドラゴンボールは、今もなお人気ランキングのトップに君臨する最古のアニメの一つです。多くの漫画家がAKIRAからインスピレーションを得ているのでしょう。
- 岸本と彼の美しい言葉
- うわー、岸見人と尾田がアキラと一緒に弟子として経験したこれらのレポートは本当にキャッチーでした、悲しいことに、ドラゴンボールのバトンも鳥谷太郎に引き継がれました
鳥山明の生涯と作品:
は1978年、『週刊少年ジャンプ』誌上で魅惑的な物語『ワンダーアイランド 『ハイライトアイランド』や『トマトガール探偵』。
しかし、1980年から1984年まで少年ジャンプで毎週連載されていた『Dr.スランプ』で人々の心を掴み、18巻まで刊行され、鳥山の作品にインスピレーションを得た最初のアニメの原作となった。
彼の名声は、象徴的な『ドラゴンボール』シリーズによってさらに輝きを増しました。 「ジャンプ黄金時代」の柱の一つとして認められた『ドラゴンボール』は世界的な現象となり、鳥山は1984年から1995年までこのシリーズに熱心に取り組みました。この11年間で、彼は42巻、約1万ページに及ぶスリリングな冒険物語を描きました。さらに、『ドラゴンボール』の成功は、アニメシリーズ、長編映画、ビデオゲーム、そして数え切れないほどのグッズを生み出しました。
鳥山氏は、そのシンプルな作風と卓越したデザイン力で、ビデオゲームの世界にも大きな足跡を残しました。『ドラゴンクエスト』シリーズのキャラクターデザインを手掛けたほか、スーパーファミコンの『クロノ・トリガー』や、PlayStationで高い評価を得た『トバルNo.1』といった人気ゲームのキャラクターデザインも手掛けました。長年にわたり、時折新たな作品を発表し、ファンを驚かせ続けています。
出典: X (公式Twitter)